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当アカデミーは、テニスオーストラリアの「クレーコートリサーチセンター」に指定され、現在さまざまなクレーコートのサーフェスのテストを行っている。現在オーストラリアにこれだけの種類のクレーコートがあるセンターは他になく、またアメリカンクレーも南半球に唯一あるコートだ。

【What?】バークレーアカデミーにあるクレーコートがこれだ。

イタリアンクレー

モンテカルロオープンとイタリアンオープンと同じサーフェスで
灌漑システムは地上からのもの

イタリアンクレー

モンテカルロオープンとイタリアンオープンと同じサーフェスで
灌漑システムは地上からのもの

アメリカのハ―ツルー

アメリカ製の緑色のクレー、アメリカに現在33,000面あり
ウィンブルドンテニスクラブにも6面、WTA毎年3月にアメリカで行われる
ファミリーサークルカップと同じサーフェス

スイス製のクレー

ドイツのスツッドガードオープンと同じサーフェス

オーストラリア製クレーがあったところにイタリアのクレーを入れ替え
灌漑システムを地下から送るもの。

レイトン・ヒューイット選手

オーストラリア国内の多くの選手やコーチがアカデミーを訪れ、クレーコートについての意見交換やプレーを通して興味を持ち、管理の素晴らしさに驚きを持っていただいています。当アカデミーに最初のクレーコートを作ったのが2005年。レイトンヒューイット選手が「最高に管理された素晴らしいコートだ」とコメントした日から今日に至るまで、度々練習に訪れている。また国内のトップクラスの選手やジュニア、アカデミー生のレッスンと幅広くテニス向上の場として活躍している。当アカデミーはその経緯の中で管理し活用しテニスオーストラリアから高い評価を受けている。

【Why?】今なぜクレーなのか

アカデミーのスーパーバイザーでもあり選手時代クレーを得意としたトニーローチ氏にインタビューを行いクレーコートでの経験について話してもらった。

【トニー・ローチ氏】現在オーストラリアデビスカップコーチ、レイトンヒューイットコーチ、元ロジャーフェデラー、パットラフター、イワンレンドルのコーチ、1965年フレンチオープンシングルス準優勝、1966年優勝、1967年準優勝、ダブルス1964年準優勝、1967年優勝

17歳で1年間ヨーロッパに遠征に行ったが(その時代はヨーロッパにしかなかったので)実はその1年では1度も勝つことができなかった。でも最終的には自分にとって一番多くを学ぶことができた1年だった。私もロームというクレー(レッドクレーではなく硬い日本にあるようなクレー)での練習はオーストラリアでもしてきていたがその時代のオーストラリアの大会はほとんどが芝であった。優れた選手として完成する最終段階としてクレーコート(ヨーロッパのレッドクレー)での練習は避けられない。クレーコートでは辛抱強い姿勢を学び、ポイントの取り方を学び、またラリーを長く続けることを学ぶことができ、自分のテニスを完成させるためには最高の場所だと思う。ラッキーなことにオーストラリアのチームとしての遠征だったため、周りによい人たちがたくさんいて多くの人がサポートして、自分を励ましてくれていた。勝てないときも落ち込まずに自分を信じ続けて粘り強く努力し続けることが成功の秘訣だと思う。

(注)ここで言うクレーコートとはヨーロッパで見る赤土、特別なれんがを砕いて作ったもののことで、一般に日本で見る硬いサーフェスの薄茶色クレーコートはオーストラリアではロームコートと呼ばれる。イタリアのクレーコートは鉄を多く含んだクレーが豊富にあるクレモナとトリ―ノという場所から来ている。そのクレーはとてもコンパクトで密であるため(崩れない)すぐれたコートサーフェスとして使われている。フランスのクレー(全仏オープン)はライムストーンをベースにし、その上にれんがを砕いた赤土を乗せたもの。アンツーカー(En-Tout-Cas)と日本で言う場合もあるが、アンツーカーは全天候型人工土の商標でもあり全仏やイタリアのコートとは違う。ロームコートはセメントとミックスされ砕かれた石で造られたもの。

クレーコートでのテニスはどんなコートでよりもエキサイティングで面白い。それはクレ―コートにはそれぞれ違った特質(性格)があるからだ、バウンド、スピン、“クレーコートは生きている。”

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